大判例

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東京地方裁判所 平成9年(ワ)9079号 判決 1998年3月20日

原告

甲野一郎

被告

右代表者法務大臣

下稲葉耕吉

右指定代理人

伊東顕

外一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金五万円及びこれに対する平成九年五月二九日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、死刑確定者である原告において、法務大臣がいまだ原告に対する死刑執行を命令しないことが、刑訴法四七五条二項に違反すると主張して、被告に対し、国家賠償法一条に基づき、慰藉料の支払を求める事案である。

二  争いがない事実

1  原告は、東京拘置所在監の死刑確定者であり、法務大臣は、死刑執行の命令権者である。

2  原告は、昭和六二年一〇月三〇日、東京地方裁判所において、強盗殺人等の罪により死刑判決を受け、右判決は、平成五年七月五日確定した。

原告の共犯者であるB及びIは、原告とともに共同被告人として審理を受け、昭和六二年一〇月三〇日、東京地方裁判所において、それぞれ無期懲役及び死刑の判決を受けた。Bに対する判決は、平成七年七月一三日確定し、Iに対する判決は、同年七月二五日確定した。

なお、原告について、上訴権回復の請求、再審請求、非常上告、恩赦の出願はされていない。

3  被告は、原告に対し、いまだ死刑を執行していない。

4  原告は、死刑確定者として、東京拘置所において独居拘禁されている。

三  主要な争点

法務大臣が原告に対する死刑執行を命令しないことが、刑訴法四七五条二項に違反し、国家賠償法一条一項に係る判断において違法と評価されるか。

1  原告の主張

刑訴法四七五条二項本文は、死刑執行の命令は、死刑判決確定の日から六か月以内にしなければならないと規定し、同項但書は、共同被告人であった者に対する刑事判決が確定するまでの期間は右六か月の期間に算入しないと定めている。

同項は、単なる訓示規定ではなく法規であると解すべきであり、同項の趣旨は、死刑確定者に不当に長く死の恐怖を継続させないところにある。

したがって、法務大臣が同項所定の期間内に死刑執行を命ずる義務は、死刑確定者である原告に対する法的義務というべきであり、法務大臣が、原告に対し、Iに対する刑事判決が確定した平成七年七月二五日から六か月以内に死刑執行を命じなかったことは、国家賠償法一条一項所定の違法行為にあたる。

2  被告の主張

刑訴法四七五条二項は、法的拘束力のない訓示規定と解すべきである。

仮に、同項が訓示規定でないとしても、同項に基づく法務大臣の義務は、確定判決がいつまでも執行されないまま放置されることを防止する趣旨から課された義務というべきである。また、死刑は執行を受ける者の生命を断つという回復できない不利益を与える刑罰であるから、たとえ死刑の執行に至るまで死の恐怖が継続するとしても、死刑確定者にとって速やかに刑の執行を受けることが利益であるということはできず、死刑確定者に対する関係で速やかに刑の執行をすべき義務を想定することはできない。

したがって、仮に、刑訴法四七五条二項が法務大臣に対し法的義務を課したものだとしても、右義務は国に対する職務上の義務にすぎず、死刑確定者に対する義務ではないと解すべきである。

国家賠償法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使にあたる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定したものであるから(最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁参照)、法務大臣が、刑訴法四七五条二項の定める義務に違反しても、国家賠償法一条一項の適用上違法とは評価されない。

3  原告の反論

(一) 原告は、東京拘置所内において、二四時間監視の下での独居拘禁生活を強いられ、面会や外部交通が著しく制限されるなどの非人間的な取扱いを受けている。

原告に対するこうした取扱いは、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下、単に「B規約」という。)七条の「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない。」との規定、及び、一〇条一項の「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われる。」との規定にも反する厳しい処遇である。

このような生活を強いられている原告にとっては、刑訴法四七五条二項の趣旨に従った早期の死刑執行を受けることこそが、幸福を追求するゆえんであり、内心の自由の実現であるともいえるから、法務大臣が、いまだ原告に対する死刑執行を命じないことは、原告の幸福追求権及び思想良心の自由を侵害するものである。

以上から、死刑確定者にとって速やかに刑の執行を受けることが利益であるということはできないという被告の主張は、一般論としてはともかく、原告に対する厳しい処遇状況を考慮すれば失当であることが明らかである。

(二) 法務大臣が死刑執行を命ずるか否かは、その大臣の思想、信条により恣意的に決定されている。これは、「何人も、恣意的にその生命を奪われない。」と規定するB規約六条一項第三文に反する取扱いであり、仮に刑訴法四七五条二項が法的拘束力のない訓示規定であり、又は、同項が法務大臣の国に対する職務上の義務を定めたにすぎないとしても、同項は、右のような恣意的な取扱いまでも許容するものではない。

したがって、法務大臣が刑訴法四七五条二項に違反して原告に対する死刑執行を命じない行為が、国家賠償法一条一項の適用上違法と評価されるものであることは明らかである。

第三  争点に対する判断

一 刑事裁判の執行は、一般に、その裁判をした裁判所に対応する検察庁の検察官の指揮のみをもってこれを行い得るものとされているが(刑訴法四七二条)、刑訴法四七五条一項が特に、「死刑の執行は、法務大臣の命令による。」と規定している趣旨は、死刑執行という事柄の重大性に鑑み、特に慎重な態度で臨むため、その指揮を我が国の法務行政事務の最高責任者である法務大臣の命令に係らせたものであると解される。

そして、刑訴法四七五条二項本文は、法務大臣の死刑執行命令は、死刑判決確定の日から六か月以内にしなければならないと規定している。

思うに、同項の趣旨は、同条一項の規定を受け、死刑という重大な刑罰の執行に慎重な上にも慎重を期すべき要請と、確定判決を適正かつ迅速に執行すべき要請とを調和する観点から、法務大臣に対し、死刑判決に対する十分な検討を行い、管下の執行関係機関に死刑執行の準備をさせるために必要な期間として、六か月という一応の期限を設定し、その期間内に死刑執行を命ずるべき職務上の義務を課したものと解される。

したがって、同条二項は、それに反したからといって特に違法の問題の生じない規定、すなわち法的拘束力のない訓示規定であると解するのが相当である。

二  この点に関し、原告は、同項の趣旨は、死刑確定者に死に対する恐怖を不当に継続させないところにあると主張する。

しかし、生命が個人の尊厳の大前提であることは言うまでもなく、死刑は執行を受ける者の生命を剥奪する刑罰であるから、たとえ死刑の執行に至るまで死の恐怖が継続するとしても、速やかに死刑執行を受けることが死刑確定者にとって利益であるということはできない。このことは、原告が自ら主張するような厳しい処遇環境に置かれていたとしても同様というべきである。

また、同条二項ただし書は、共同被告人であった者に対する刑事判決が確定するまでの期間は、同項本文の六か月の期間に算入しないと規定している。同項自体が、このような死刑確定者の意思によらない事情により死刑執行命令の期限が延引される事態を許容していることを考慮しても、死刑確定者に不当に長く死の恐怖を継続させないことを立法趣旨と考えることには疑問がある。

そうすると、原告の右の主張は採用することができない。

三  原告は、法務大臣が死刑執行を命じないことが原告の幸福追求権及び思想良心の自由を侵害すると主張し、それを根拠に、法務大臣が刑訴法所定の期間内に死刑執行を命令すべき義務を死刑確定者に対する法的義務であると結論づけようともしている。

しかし、憲法一三条の幸福追求権とは、個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体をいうものであり、この幸福追求権を根拠に国家に対し自己の死刑判決の執行を求めることが認められないことは明らかである。また、憲法一九条の「思想良心」とは、世界観、人生観、主義、主張などの個人の人格的な内面的精神作用を広く含むものと解されるとはいえ、早期の死刑執行を希望することがこれらと等質のものと解することはできない。また、同条の保障は、国家機関によって、個人の内心の表明を強制されないことを意味するにとどまり、個人の思想良心を実現するよう国家機関に対し請求することを内容とするものではない。

したがって、法務大臣が原告に対する死刑の執行を命令しないからといって、原告の幸福追求権や思想良心の自由を侵害するものということはできない。

四  さらに、原告は、刑訴法四七五条二項は、B規約六条一項に反する恣意的な取扱いを許容するものではないから、法務大臣が刑訴法四七五条二項に違反して原告に対する死刑執行を命じない行為は、国家賠償法一条一項の適用上違法と評価されるべきであるとも主張する。

しかし、既に検討したとおり、刑訴法四七五条二項は法的拘束力のない訓示規定であると解すべきであるから、法務大臣の同項に違反する行為は、それが恣意的な判断に基づくと評価されるか否かにかかわらず、国家賠償法一条一項の違法の問題を生じさせるものではない。

第四  以上のとおりであって、原告の請求は理由がない。

(裁判長裁判官成田喜達 裁判官山﨑勉 裁判官中丸隆)

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